ヤーキース・ドットソンの法則

5月から、その日に思い付いたことなどをブログに書いています。毎日続けられる自信はありませんが、ほぼ毎日書いていこうと思っています。

 

今は、隔離されたような所に住んでいるせいもあって、人と会わないし、誰かと連絡を取ることもない。会社も営業していないような状況なので、考えることもない。

 

ちょっとくらい考えることがあってもいいのではないか、悩みがあってもいいのではないか、と思います。しかし、悩みは今のところ、何もありません。そこで、ちょっと考えることをしようと思いました。

 

人間は、頭と体に対して、負荷をかけないよりも、少しの負荷をかけた方がより良いようです。体も、家にばかりいたり、寝転んでばかりいると、弱ってきます。頭も、考えることがないと、老化してくるかもしれません。これは、以下のようなヤーキースとドットソンの実験でも導かれています。

 

心理学者のロバート・ヤーキースとJ・D・ドットソンは、ネズミを用いた実験で、学習やパフォーマンスに関する法則を発見しました。


ネズミに黒と白の目印を区別するように訓練し、区別を間違えた時には、電気ショックを流しました。電気ショックの程度は、強弱を変えて設定します。その結果、電気ショックの程度が強まるに従って正答率が増す。しかし、最適な強さを上回ると正答率が低下しました。

 

つまり、電気ショックの程度が適度な時にネズミは最も早く区別を学習する。逆に、電気ショックが弱すぎたり強すぎたりすると、学習に支障が出ることがわかりました。


人間も、ネズミと同じように、ストレスやモチベーションといった刺激や覚醒状態が適度にある時にパフォーマンスは最も高くなります。刺激や覚醒状態が極端に低い、あるいは高い時には、パフォーマンスは低下すると考えられるようになりました。

 

つまり、ハイパフォーマンスの実現には、適度な刺激や覚醒状態が必要です。この法則を「ヤーキース・ドットソンの法則」と言います。


適度な刺激や覚醒状態がどの程度なのかは、行う内容の難易度によって変わります。課題が易しい場合は、高い刺激や覚醒状態で臨む方が良い。課題が難しい場合は、刺激や覚醒状態が低い状態、いわゆるリラックスした状態で臨む方がパフォーマンスを発揮しやすい、と言われています。

命の値段

人間は、野菜のような植物〜動物の肉まで、何でも食べます。多くの動物は肉食性と草食性に分けられますが、人間は雑食性と言っても良い。

 

しかし、人間の中には、肉ばかり食べる人もいるし、野菜ばかり食べる人もいます。ほとんど何も食べない人までいます。人間は、その人によって食性が違う生き物なのかもしれません。

 

最近、「お年寄りになったら肉を食べなさい」という主旨のテレビ番組を見ました。肉を食べている人ほど長生きするというデータもあるようです。しかし、このデータはこのようにも捉えることができます。

 

―肉を食べたいと思う人ほど、元気で活力がある。肉を食べるから長寿なのではなく、肉を食べようとする元気と活力がある人が、肉を食べ、結果的に長寿である。―

 

長寿と肉食の因果関係については、よくわかりません。肉を食べなくても長寿の人もいますから、肉だけの問題ではないと思います。

 

肉食の人と菜食の人では、性格が違うと思います。多くの場合、肉を沢山食べる人の方が活動的で、野菜ばかり食べる人は大人しい傾向があるような気がします。

 

これも、因果関係が逆かもしれません。活動的な人は肉を食べたくなり、大人しい人は野菜を食べたくなるのかもしれません。

 

肉食が良いとか悪いとか、いろいろな意見がありますが。私は食べたいと思うものを食べればいいと思います。食べたいと思うものが、その人にとって一番必要なものです。

 

肉は、動物の命をいただくことになります。野菜だって野菜の命をいただくことですが、野菜を殺すことに関しては、誰もが抵抗がないと思います。

 

日本では、肉が加工品のようになって出てくることが多い。自らの手で動物を殺すことはない、と言ってもいい。こういう国は、かなり少ないようです。例えば、ニワトリは、海外へ行くと、生きたまま買ってきて、自分の家で調理する家庭が珍しくありません。

 

スーパーへ行くと、ニワトリ1羽が2千円くらいで売っています。スーパーの利益、ニワトリの処理代金などが必要ですので、ニワトリの出荷原価は1千円くらいではないかと思います。

 

ニワトリ1羽の出荷原価が1千円というのは、安すぎるように思います。養鶏場では、様々な費用がかかりますから、ニワトリは一生の間に、食費として使っているお金は5百円くらいでしょう。もしかすると、もっと少ないかもしれません。

 

一生の間に、これしか食費を使っていないと思うと、ニワトリがかわいそうに感じます。ときどきは、もっと贅沢をさせてあげたい。

 

動物の命をいただくことに関しては、良しとしても、動物が置かれている環境は、改善した方がいい。消費者が手にする時に安ければいい、ということで、畜産は行われているのかもしれませんが、もっと動物のことを考えた方がいいと思います。

 

肉の値段は高くなってもいいから、動物たちに、もっと快適な環境に住まわせ、良いものを食べさせてあげたい。動物の命の値段は安すぎると思う。

生殖的相性と人間的相性

毎月22日は、夫婦の日だそうです。結婚って、ものすごく不思議です。全然違う家庭で育った二人が同じ屋根の下で暮らします。育つ環境も違えば遺伝子も違う二人が、長く一緒に暮らすのは奇跡かもしれません。

 

「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、間男は止せ」という諺があります。これは古典落語にも使われていますが、本当のことかどうか、わかりません。

 

恋愛結婚だと、お互いに「好き」だと言うことで、結婚に至ります。周囲が猛反対しても、駆け落ちする人までいます。

 

結婚前に、情熱的に愛し合った夫婦でも長続きするとは限りません。あんなに熱愛していたのに、あっさり別れる夫婦も珍しくありません。

 

男性と女性はお互いに好きだから結婚する、と思われています。しかし、生物学的に見ると、「好き」「愛している」というのは、単なる錯覚です。生物学的に言うと、恋に落ちる二人は、生殖相性、すなわち遺伝子の相性が良いため、好きになります。

 

不思議なことに、生殖相性が良いほど、人間としての相性は悪い。熱愛して、好きで好きでたまらなくなって結婚した夫婦は、人間的な相性は最悪らしい。

 

このように、夫婦の相性は2つある、と言ってもいいかもしれません。「生殖的相性」と「人間的相性」です。

 

ほどほどに好きで結婚した夫婦は、人間的相性が良かったりします。お見合い結婚で、何となく結婚したけど、長続きする夫婦も沢山います。こういう夫婦は人間的相性が良いのかもしれません。

 

いずれにせよ、男と女は別の生物と言ってもいい。男と女では、見ている視点が全然違っていたりします。そういう二人が、一緒に暮らしているのは奇跡です。

 

長い間、仲がいい夫婦には、相性を超えたものがあるのかもしれません。例えば、感謝、尊重、尊敬・・・というような、相手をリスペクトするものがあるのでしょう。

究極の贅沢品

今は、女性の社会への進出が進んでいます。昔は、結婚すると、専業主婦になるのは、普通のことでした。それが、次第に専業主婦が減り、仕事をしている女性が増えています。今は、共働きが当たり前のようになっています。

 

結婚したあと、専業主婦になりたいと思っている未婚の女性は、30%〜50%ほどのようです。しかし、実際に専業主婦になっている女性は少ない。

 

2016年の調査だと、共働きをしている夫婦60.9%、夫だけが働く夫婦33.2%、妻だけが働く夫婦5.2%、夫婦とも無職0.6%だそうです。(高齢者を除いた数字です。)

 

だいたい6割の夫婦が共働きをしていることになります。今、専業主婦をしている人でも、子育てが終わったら、仕事をしたいと思っている人もいます。

 

このように考えると、結婚してから、一度も働かないで専業主婦だけの人は、かなり少ないと思います。おそらく1割〜2割程度でしょう。

 

住宅購入は、「人生最大の買い物」と呼ばれています。しかし、妻(夫)が働かないと、住宅を買うよりも、大きな損失?になります。

 

妻の年収を300万円だとすると、20年働いて6千万円、30年働いて9千万円です。このくらいの金額があれば、家を買うことができます。こう考えると、家計にとっては共働きをするのが一番いい、という話になります。

 

ファイナンシャルプランナーの中には、「専業主婦は、究極の贅沢品」「億ション買うより贅沢なこと」と酷評する人がいます。

 

私は、この考え方に反対です。男は、妻と子供を養えるくらいの収入がないとダメだと思います。男性は、「家族のお金の面倒は全部見てやる」というような大きな器を持っていないと結婚する資格がないかもしれません。結婚相手に対して「共働きをしよう」と言うような男は、女々しいと思う。

 

お金のことを夫婦で相談し合う人がいますが、お金のことは、どちらか一人が考えればいいのかもしれません。夫婦は共同体ですが、分担できることは分担した方がいい。お金のことは夫が考えて、妻が安心して子育て、家事ができる環境にする方がいいと思います。

 

女性が社会進出することは賛成です。男性から見る視点と女性から見る視点は違います。男性から受けたいサービスもあるし、女性から受けたいサービスもあります。

 

働きたいと思う女性は、社会に出て大いに働くべきです。女性が自らの意思で働くことについては異論がありません。女性が、自由に活躍できる社会になるといいですね。

フラフラ生きてもいい

夢を叶えるために、「こうなりたい」と思う写真を雑誌などから切り抜いて貼っている人がいます。宝地図などとも言われている方法です。

 

夢や目標をすることを文字に書いて、部屋に貼っている人もいます。「東京大学合格」「今月の売上100万円」というようなものです。

 

常にこういうのを見ていると、潜在意識に働きかけ、夢に近付く、という論理のようです。

 

アファーメーションというのもあります。「なりたい自分」を肯定的な言葉で言うことにより、潜在意識に働きかけ目標達成をする、というものです。

 

若いころ、自己実現や潜在意識に関する本を読んだことがありますが、こういうことをしたことがありません。全然興味がないし、面倒だと思っていました。こういうことをして夢が叶った人もいますが、ごく一部の人だけだと思います。

 

こういうのは、やってもやらなくても、結果は同じだと思っています。結果が同じだったら、必要以上のエネルギーを使う必要はありません。

 

そもそも、本当にやりたいことがあったら、紙に書いたりしなくても、いつも意識しているものです。紙を見て思い出すようだったら、本気でない証拠です。

 

そもそも、私は、若いころから、夢、希望、目標は、あまり持っていませんでした。漠然と、「こういう人生を送れたらいいなあ」と思うことはありましたが、絶対に叶えてやるぞ、と思ったことはありません。

 

「私にはこういう夢があるから絶対に叶える」と言う人がいます。私は、こういうのを聞くと、「怖いなあ」と思います。夢や目標を絶対に実現する、という強い意志は、恨み、憎しみ、執着、と同じ種類のものかもしれません。

 

夢や目標なんて、持たなくていいと思っています。一番大切なことを、今するべきことを大切にする。そして、岐路に立ったら、どう選択するか、だと思います。

 

実現が無理そうなことを、頑張って実現しようと思いません。実現できそうもなかったら、それを諦めてしまう方です。いつも、芯がないようなフラフラした生き方をしています。

 

でも、若いころに、漠然と「こういう人生を送れたらいいなあ」と思っていたよりも、相当上の人生になっています。力んで生きるよりも、力を抜いてフラフラ生きていてもいいのかもしれません。