意怠

『荘子』は、荘子の著書であり「道家の文献」と言われています。『荘子』の山木篇に、こんな話があります。

 

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孔子が諸国遊説の途次、陳・蔡の国境付近で土民兵に包囲され、進退きわまったときのことである。隠者の太公任(たいこうにん)という者が陣中見舞にやってきて、こんな忠告をした。

 

「おまえさんも、こんなところで死ぬのはいやであろうな。ひとつ、死なずにすむ方法を教えてあげよう。東の海に『意怠(いい)』という鳥がいた。この鳥は、ばたばたと羽ばたくだけで、なんの取り柄もない。他の鳥にひきずられてやっと飛びあがり、尻をたたかれてようやくねぐらに帰りつくという始末。飛ぶときは、先頭には立たず、さればといってビリにもならない。

 

餌をついばむときは、他の鳥よりも先に嘴をつけず、必ず残りものを口にする。こんなふうだから、隊列から締め出しをくうこともなく、人間から危害を加えられることもない。

 

樹木にしても、まっ先に切り倒されるのはまっ直ぐな木だ。井戸にしても、まっ先に涸れてしまうのは水のうまい井戸だ。  

 

ところで、おまえさんはというと、おのれの賢さを鼻にかけて愚者どもをあっといわせ、おのれの行ないを善くして他人の不道徳を責め、まるで日月を背中に背負っているかのようにおのれの存在を誇示している。だから、こんな危難におちいるのだ」  

 

太公任は、さらにことばを続ける。

 

「真に道を体得した人物は、ぼんやりとして、つかまえどころがなく、凡人の眼から見ると、まるで狂人のように見えるものじゃ。歩いても足跡を残さぬほどに目立たず、権勢の地位を捨て去って、功名を世にあらわすこともしない。

 

だから、人を責めることもないし、人から責められることもない。このような人物は世俗的な名声とは無縁である。しかるにおまえさんときたら、名声、名声と、あけてもくれても世間の評判ばかり気にしている。これでは、長生きなどできるわけはないだろう」

 

(『実践・老荘思想入門』より)

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この話は、荘子が孔子の生き方を茶化したものです。そして、功名を求めることなく、自らをひけらかすことなく生きれば、患難から免れる、という話です。

 

この話から出た言葉に「甘井先竭(かんせいせんけつ)」という熟語があります。美しい水の出る井戸は、人が競って汲むので、ほかの井戸より先に汲み尽くされてしまう。このことから、「才能がある人の才能が早く衰えやすい」「才能をひけらかすものは、先に災難にあう」という意味で使われています。

 

この話にもあるように、真に道を体得した人は、ぼんやりして、つかまえどころがなく、功名を世にあらわすことはしないような気がします。

 

世の中には、功名心の強い人がいますが、こういう人は、大した人格でないかもしれません。本当に道を体得した人は、才能をひけらかすことなく、ひっそりしているものです。人を見るときには、見た目だけではなく、その人の本質を見極めるといいでしょう。私も、意怠のような人になりたい。