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心の平安

人生において、お金はとても大切だと思います。しかし、お金は、主役ではなく補佐役的なものです。

 

少しくらいは贅沢な暮らしをしたいと思いますが、ものすごく贅沢な暮らしをしたいとは思いません。私が、桁違いのお金を持ったとしても、困るだけです。大金持ちの人を見ても、「羨ましい」「私も大金持ちになりたい」という感情は湧きません。

 

ものすごく贅沢な暮らしをしている人は、心に隙間があって、その隙間を埋めようとしているのかもしれません。持っているお金の大小で生活スタイルを変えるよりも、持っているお金に関わらず同じ生活をした方が楽な気がする。

 

大金持ちは、自分の住む家、自動車、時計、洋服など、日常生活に使うものに莫大な金額を使う人が多いと思います。中には、大金持ちなのに、とても質素な生活をしている人もいます。

 

自分の日常生活以外には、慈善事業をしたり、慈善事業の団体、宗教団体に寄付をする人も多くいます。日常生活に関わることにお金を使うのは、自分の喜びですが、慈善団体、宗教団体へお金を使うのは、ほかの人の喜びになります。

 

人は、ほかの人の喜びをも、自分の喜びに変えることができます。自分と他人を区別しがちですが、本当は、もっと緊密なのかもしれません。

 

宗教団体がつくる建物は、ものすごく立派なものが多い。宗教は、目に見えない「心」を説くのだから、3次元的な建物に価値を置かなくていいと思う。しかし、どこの宗教団体も立派な建物を建てています。

 

そして、大金持ちは、美術品を買う人も多くいます。美術品は、美しく、唯一無二のものです。希少価値がある美術品を手に入れることは、一つの喜びでしょう。

 

慈善事業や宗教団体に寄付をするのは、心の問題だと思います。このような団体に寄付をすることにより、心の安らぎを感じているのかもしれません。

 

美術品は、「美しさ」に価値があり、物質的なものではありません。美術品も、「心」と言ってもいい。いくらお金を持っていても、行き着く先は、「心」なのでしょう。お金があってもなくても、心の平安が一番だと思います。

 

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