おせっかいは嫌い

私は、ほかの人におせっかいをしないタイプです。ほかの人が幸せであろうと、幸せでなかろうと、どうでもいい。ほかの人にエネルギーを注ぐよりも、自分にエネルギーを注ぎたいと思う。

 

「夢を叶えたい」「成功したい」「お金持ちになりたい」などと思っている人がいます。その人を見ていて、「ちょっと工夫すれば上手くいくのになあ」「こうやったら成功するんじゃないかな」「こうすればお金が儲かるのになあ」と思うことがあります。このように感じても、その人には、このことを伝えません。

 

どうしてかと言うと、私の考え方が正しいかどうか、わからないからです。私が「絶対にこうした方がいい」「99%は成功する」と思っても、上手くいかない可能性もあります。

 

また、何が良くて、何が悪いか、というのは、わかりません。私が「良い」と思っている現象は、宇宙的にも「良い」とは限りません。私の勝手な価値観で、「良い」と思っているかもしれません。そして、その価値観は、時間とともに変わっていくこともあります。

 

「夢を叶えたい」と思っている人が、夢を叶えることができなかったら、不幸だ、という考え方もあります。しかし、夢を叶えられないことによって、別の分野で活躍することだってあります。今は、失敗のように思えても、将来は、この失敗があったからこそ、大成功した、ということになるかもしれません。

 

私も、ほかの人から、おせっかいをされることがあります。おせっかいされることも嫌いなので、放って置いてくれ、と思う。

 

でも、たまに、ほかの人からの、おせっかいを聞くことがあります。それは、ほかの人が、「私が知らない私の一面を見ている」と感じるときです。

 

意外と、自分のことを自分は知らなかったりします。ほかの人が、私を見て、熱心に勧めることは、私に向いている可能性があります。

 

神様は、肉体がありませんから、人に対して、直接アドバイスすることはありません。それで、神様は、ほかの人を通して、アドバイスをすることがあるのかもしれません。もし、こうだとしたら、ほかの人のおせっかいは、神様からのアドバイスである可能性もあります。

 

こんなことも考えるのですが、基本的には、おせっかいをするのは嫌い、おせっかいを受けるのも嫌いです。(笑)