『怒らないこと―役立つ初期仏教法話』(アルボムッレ・スマナサーラ著)

アルボムッレ・スマナサーラさんは、スリランカ出身の僧侶であり、スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老です。たくさんの書籍が刊行されているので、書籍を読んだ人も多いと思います。

 

私は、スマナサーラさんの書籍を10冊以上読みました。どの書籍にも良いことが書かれていますが、私が好きな書籍の一つに『怒らないこと―役立つ初期仏教法話』があります。最近、この書籍を再読してみました。良いと思った内容を抜粋して紹介します。抜粋したものですので、スマナサーラさんの真意と異なる箇所があると思います。

 

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怒りを意味するパーリ語(お釈迦さまの言葉を忠実に伝える古代インド語)はたくさんありますが、一般的なのは dosa (ドーサ)です。この dosa という言葉の意味は「穢れる」「濁る」ということで、いわゆる「暗い」ということです。

 

「今、私は楽しい?」「今、私は喜びを感じている?」と自問自答してみればいいのです。「べつに楽しくはない」「何かつまらない」と感じるならば、そのときは心のどこかに怒りの感情があります。「退屈だ」「嫌だ」などの感情があるときは、心に怒りがあるのです。

 

人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っています。それで怒るのです。「相手が正しい」と思ったら、怒ることはありません。「私は正しい、とは言えない。私は不完全だ。間違いだらけだ」ということが心に入ってしまうと、もうその人は二度と怒りません。

 

「自分は完全ではないし、他人にもけっして完全な結果を求めない」という思考が、この世の中で我々が落ち着いて生きていられる秘訣です。

 

怒りの人は我々の生命でいちばん大事なものを奪ってしまいます。「人間の生きがい」を奪います。人の金を盗む泥棒なら他人の金で自分が楽をしたい考えなのです。では人の幸福と生きがいを盗む「怒りの泥棒」はというと、他人から奪ったもので幸福になるわけではありません。自分が怒りで苦しんでいるのです。他人の幸福まで壊して他人まで巻き込むのです。ですから怒ることは、泥棒の中でもいちばん性質の悪い泥棒なのです。

 

怒ることは、自分で毒を飲むのと同じことだと思ってください。わざわざ、自分自身で毒を取って飲む必要はないでしょう? ですから、怒りを治めるためにまず必要なのは、「怒ると、自分を壊してしまう」と理解することなのです。

 

「怒りが生まれたら、それをコントロールする」ということです。やり方は、「薬で、猛毒をなくすように」です。つまりどのようにするかというと、からだに怒りが生まれたら、それを蛇の猛毒のように考えて、すぐ薬で消してしまうのです。

 

蛇が古い皮を脱皮するように、怒りを脱皮してください」。仏教では、怒りのことを「猛毒だ」と言っているのです。

 

本当に「怒りがない」ということは、怒る条件が揃っていても怒らないことなのです。みんなにけなされているときでも、ニコニコできることなのです。

 

怒るのは、最低で無知な人である」「怒るのは、人間性を捨てることだ」ということを理解してください。「怒っている自分には、理解力も合理性も客観性も何もないのだ」ということを心の底から受け止めてください。それができるようになると、もう怒れません。努力して怒りを抑えこむのではないのです。自分の心の怒りに気づいたら、怒れなくなってしまうのです。

 

怒りが生まれたら、「あっ、怒りだ。怒りだ。これは怒りの感情だ」とすぐ自分を観てください。怒りそのものを観察し、勉強してみてください。「今この瞬間、私は気持が悪い。これは怒りの感情だ。ということは今、私は怒っているんだ」と、外に向いている自分の目を、すぐに内に向けてください。

 

臆病で弱くて自信がない人ほど、偉そうに怒るのです。怒る人というのはすべて、自分にはまったく自信がないし、社会に堂々と胸を張って生きていられない人なのです。

 

本当に力強い人、本当のリーダーはけっして怒りません。いわゆる「真の人間」は怒らないのです。怒るのは偽物だけです。

 

まわりの人が怒って話しているのにつられて自分も怒るということは、「腐ったものを食べた人が吐いたものを、拾って食べるようなものだ」と肝に銘じておきましょう。

 

怒る人は、精神的にも肉体的にも徹底的に弱いのです。勇気がまったくないから、言葉の暴力で相手を抑えつけてやろうと思っているだけです。