谷川俊太郎さんは、60冊以上の詩集を刊行しているそうです。谷川俊太郎さんは、現代詩人の中では、第一人者と言ってもよく、詩人としての業績も素晴らしい。詩集を何冊か読んだことがありますが、現代詩人の中では秀逸な詩を書いていると思う。

 

今をトキメク詩人と言えば、最果タヒさんかもしれません。ベストセラーのコーナーに新刊が平積みにされる詩人は、最果タヒさんくらい、と言ってもいいでしょう。

 

初めて「最果タヒ」さんの名前を見たとき、「サイカタヒ」と読んでしまいました。少し経って、「サイハテタヒ」だと気付きました。

 

最果タヒさんが、「サイカタヒ」と読むように名乗っていたら、作風も変わっていたでしょう。最果タヒさんの詩集を読んで、「ああ、やはり、サイハテタヒさんなんだな」と思ったことがあります。

 

宮沢賢治の「風にも負けず、雨にも負けず・・・・」、中原中也の「汚れちまった悲しみに・・・・」というようなフレーズは、多くの人が、パッとそらんじることができると思います。

 

では、谷川俊太郎さん、最果タヒさんの詩を、宮沢賢治、中原中也の詩のように、そらんじて言えますか?しかし、谷川俊太郎さんの詩には、そらんじて言えるものはない、あるいは、あったとしてもかなり少ないと思う。最果タヒさんの詩をそらんじて言える人は、皆無と言ってもいいと思います。

 

谷川俊太郎さんも、最果タヒさんも、現代詩人としては、優れています。私も、それなりに良い評価をしています。しかし、ちょっと物足りなさを感じるのです。

 

日本には、素晴らしい詩人はいないのでしょうか。もしかすると、詩人のような感性を持っている人は、詩人になっていないのかもしれません。

 

いろいろな文章を読んでいると、美しい文章だなと思うものがあります。その一つは、広告業界で仕事をしているコピーライターです。最近は、新聞広告を読む機会が少ないのですが、新聞広告などで、ものすごく秀逸なコピーを見かけることがあります。

 

秀逸なコピーを見ると、詩人よりも、詩的ではないか、と思ってしまいます。詩人では食えないから、コピーライターの世界に入った人もいるのかもしれません。

 

ほかにも、何気なく読んでいる文章の中でも、美しい文章を見かけることがあります。科学の書籍でも、詩のような感覚で書かれているものもあります。こういうのを読むと、詩というのは、いろいろな表現方法があって、わざわざ詩という形態を取らなくてもいいのではないかと思う。

 

詩のような美しい文章を読んでいると、内容にかかわらず、引き込まれてしまいます。もっと言えば、すべての文章は、「詩」であると言ってもいいのかもしれません。