葛飾北斎

最近、テレビや雑誌で、葛飾北斎が頻繁に取り上げられています。これは、あべのハルカスで『北斎―富士を超えて』という展示会が行われているせいもあるのでしょう。

 

葛飾北斎は、1760年生まれ、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。1999年に、アメリカの『ライフ』で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」を選びましたが、日本人として唯一ランクインしました。

 

世界的に見て、日本で一番有名な人物、と言ってもいいかもしれません。日本を代表する画家(浮世絵師)と言ってもいい。特に、『冨嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」は、日本人だけでなく、海外の人も知っている有名な版画で、モナリザと同じくらいに評価が高いそうです。

 

北斎は、30回以上改号(名前を変えた)したことでも有名です。一般的に呼ばれている「北斎」という名前は、「北斎辰政」の略称で、北極星、北斗七星を神格化した日蓮宗系の北辰妙見菩薩信仰に由来しています。

 

北斎には、いろいろなエピソードがあります。有名な話としては、93回も引っ越しをしました。1日に3回引っ越したこともあるそうです。絵を描くことにのみ集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越ししていた、と言われています。

 

料理は買ってきたり、もらったりして、自分ではつくらなかったそうです。家には、食器一つないため、器に移し替えることもしない。包装の竹皮や箱のまま食べて、そのまま放置していた。自分で茶を入れることはなく、客が来ると、隣の小僧を呼んで茶を入れさせました。

 

金銭には無頓着でした。画工料は、通常の倍を得ていたが、赤貧で衣服にも不自由していました。画工料が送られてきても、包みを解かず、数えもせず、机に放置しておく。米屋、薪屋が請求に来ると、包みのまま投げつけて渡していました。

 

9月下旬から4月上旬までは、コタツに入り続け、どんな人が訪れても、絵を描く時も、コタツを出ることはなく、疲れたら横の枕で寝るし、目覚めたら絵を描き続けていました。

 

北斎の代表作『冨嶽三十六景』の出版が始まったのは、71歳の時です。このとき、北斎はこう述べています。

 

「70歳以前の作品は取るに足らないものだった。73歳で生物の骨格や草木の出生を悟った。ゆえに86歳でますます成長し、90歳で絵の奥意を極め、100歳で神妙の域に達するだろう。」

 

80歳くらいの時には、「子供の時から、80幾つになるまで、毎日描いているけど、猫一匹すら描けねえ。」と涙流して嘆いていたそうです。

 

北斎は、90歳で亡くなりました。死を目前にした北斎は、大きく息をして「天があと10年、命長らえることを私に許されたなら」と言い、しばらくして、「天があと5年の間、命を保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう」と言ったそうです。

 

北斎の生涯を見ると、亡くなるまで常に絵を描くことに向き合っていた、と言えます。天才は、「才能」+「努力」ではないかと思います。いくら才能があっても、努力がなければ、天才にはなりえないでしょう。天才は、変人という一面もありますが、これはご愛嬌ということで。