無条件の感謝

私たちは、母(両親)の存在なくては、この世に存在しません。誰もが、母のお腹から出産という形で、この世に誕生しました。こうして、私が生きているのは、母(両親)のお蔭と言ってもいい。こういう意味では、母(両親)には感謝しかありません。

 

私が、母(両親)に一番感謝していることは、丈夫な体で産んでくれたことです。私は、子供の頃から、風邪をすぐひくし、体力も全然なかったので、病弱な体だと思っていました。今でも、体力に自信がありません。

 

しかし、大人になってから、病気をしたことがないのです。病院へは、耳が聴こえなくなって、耳鼻科に行ったくらいです。この時は、耳垢がたまっていただけで、耳垢をとったら、すぐに治りました。

 

年齢を重ねてくると、頭痛、腰痛、肩こりなど、様々な痛みを生じる人が多くなります。でも、私は、こういう体の痛みは、全然と言っていいほどありません。

 

以前は、痛みがないことを当然のように思っていましたが、年齢を重ねるごとに、すごいことだと思うようになりました。病気をする、どこかに痛みがある、というのは、普段の健康管理も影響しますが、遺伝的なものも大きく影響していると思います。

 

母(両親)に無条件で感謝しているのは、命をいただいたこと。そして、このような病気にならない、痛みがない体に産んでくれたことです。

 

誰もが、両親に対しては、命をいただいた、という点で、無条件の感謝ができると思います。このような無条件の感謝は、日常生活では忘れてしまいがちですが、時々思い出してみるといいかもしれません。

 

これは、日常の人間関係でも同じです。人間関係に置いては、一つでも無条件で感謝できること、無条件でリスペクト(敬意・尊敬)できることがあると、その人を尊重して、良い関係性を築けると思います。ずっと仲が良い夫婦には、無条件で感謝できる点が互いにあるのではないでしょうか。

 

ほかの人に対しては、無条件で感謝できる点に気付く。そして、無条件で感謝されるような人格になりたいですね。

母は偉大なり

アメリカの新聞に、下記のような求人広告が掲載されたそうです。


内容は主に危機管理、ほかに多種多様な業務
労働時間は1日19時間、週135時間程度、時間制限なし、休憩なし
立ちっぱなしの場合も多く、スタミナは必須
経済、薬、調理などのさまざまな知識が必要
しかも無給


実際に面接に来た人からは、「法律違反では?」「クレイジーだ」との声もあがりました。しかし、面接官は、「やりがいはある。だから今も大勢の人がやっている仕事だ」と伝えます。

 

「誰ですか」と聞くと、面接官曰く「母親ですよ」。


種明かしは、母親の偉大さを再認識してもらうための「母の日」の企画でした。

 

アメリカの求人情報提供会社であるSalary.comは、母の日に合わせて、主婦の労働を年収に換算して発表しています。ある年のデータだと、主婦の労働は年収1200万円に相当するそうです。これは、為替レートなどによっても前後しますが、ちょっとオーバーな数字だと思います。

 

子供が20歳まで成長するには、どれくらいの金額が必要でしょうか。最低限必要なものは、食費、電気光熱費などです。それに加えて、教育費、図書費、遊興費など様々な費用がかかります。

 

塾に行かせるか行かせないか、公立の学校に行かせるか、私立の学校に行かせるか、習い事をさせるかさせないか、などによっても、費用が違ってきます。

 

20歳まで、子供に最低限の費用をかけた場合には約1千万円、普通にかければ約3千万円、贅沢にかければ数千万円以上になると思います。

 

この数字には、母親の労働力が含まれていません。母親の労働力を加算すると、とんでもない数字になります。母親の労働力を1年で300万円(1日あたり約8200円)とすると、20歳までに6千万円かかります。

 

これを上記の数字にプラスすると、20歳まで最低限の費用をかけた場合には7千万円、普通にかければ9千万円、贅沢にかければ1億円を軽く超える金額になります。20歳まで子供を育てると、平均して1億円くらいの経費がかかることになります。

 

親は、これを、すべて無償で行っています。日本では、無給で時間外労働をさせる会社を「ブラック企業」と呼びますが、母親という仕事は、超ブラックです。それなのに、多くの母親は喜んで育児をしています。育児は、母親の中に組み込まれた本能かもしれません。

 

親から、「成人するまでに1億円かかったから、1億円返せ」と言われた人は、皆無でしょう。こういう意味で、親はものすごく偉大な存在だと思います。こんなことを考えながら、母の日を迎えました。

勤勉に働かない

人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに携わった人によると、死の間際になると自分の人生を振り返って後悔を口にするそうです。その中で最も多かったのは、こういう言葉でした。

 

―あんなに一生懸命働かなくてよかった。―

 

働く時間が長かったため、家族と過ごす時間が少なかった、自分がやりたいことができなかった、必要以上のお金を貯めすぎた、ということです。

 

多くの人が自由に生きられない原因の一つには、お金の恐怖があると思います。私たちは、お金に関して、ものすごく洗脳され、恐怖を植え付けられています。

 

お金がないと死んでしまう、と考えがちですが、日本で飢え死にする人は皆無に近い。少なくても、私の知人、友人、親戚で飢え死にした人は一人もいません。

 

今の日本で生活していて、飢え死にする可能性はゼロに近いのに、お金の心配をしてしまう。これは、お金がないと生きていけない、と洗脳することで、メリットを受ける人がいるからかもしれません。

 

多くの人は、お金がなくなる恐怖から、必要以上に働きます。その結果、貯蓄ができるかもしれませんが、その見返りとして大切なものを失っている。

 

サラリーマンは、1日に8時間くらい、あるいは8時間以上働きます。通勤や出勤の準備などに要する時間を考えると、1日の半分くらい、あるいはそれ以上の時間を会社のために費やす人も多くいます。

 

普通に考えて、これは働き過ぎでしょう。おかしいですよね。おかしいと気付いたら、このループから抜け出せばいい。もっと働く時間を少なくして、別のこと、自分がやりたいことに時間を費やすといいと思います。

 

日本人の中には、働くことを神事のように捉えたり、尊いと考える人もいます。確かに、多くの人が働くことによって、社会が成り立ちます。こういう意味で、働くことは尊いですが、自分の人生を犠牲にする必要はありません。

 

このようなラットレースのようなループから抜け出せる人が増えていくと、社会の仕組みが変わり、今とは違う社会構造になるでしょう。より良き社会をつくるためには、勤勉に働くことではなく、適当にボチボチ働いて、自分の好きなこと、遊びの方を重視することが必要だと思います。

「白いご飯」のようになる

誰にでも、「好きなこと」と「嫌いなこと」があります。人生においては、できる限り多く「好きなこと」をした方がいい。

 

「嫌いなこと」ばかりしていたら、せっかくの人生が無意味になるかもしれません。「体験」という観点においては、「嫌いなこと」をするのも有意義ですが、やはり「好きなこと」をしていきたいと思う。

 

「好きなこと」は、自分にとって、生きる指針のようなものです。ストレスを感じないし、幸せになれるし、心豊かになることができます。

 

でも、「好きなこと」は、時間が経つに連れて「好き」という感覚が薄れたり、「嫌い」になることもあります。こういうように、「好き」という概念がなくなってきたら、それをするのを止めてもいい。

 

他に、「好きでもない、嫌いでもないこと」って、あると思います。こういう「好きでもない、嫌いでもないこと」も、人生において大切かもしれません。

 

特に大切だと思うのは、「好きでも嫌いでもないが、苦にならず楽に継続して行えること」です。こういうことは、「好き」という自我を振り回すよりも、素晴らしいことのように思えてきました。

 

「白いご飯」は、毎日食べます。エビフライが大好きだとしても、毎日エビフライばかり食べると嫌になります。こういうことを考えると、毎日、毎食食べることができる「白いご飯」は、素晴らしいと思う。

 

こういう「白いご飯」のような、毎日続けられることを淡々とやっていく。もしかすると、「好き」を振り回すよりも、「白いご飯」のようなことを淡々とやっていく方が、意味があるのかもしれません。「白いご飯」のような人格を目指すのも、面白そうです。

ゆらゆら生きていく

昨日書いたように、私は、畑仕事と草刈りに多くの時間を費やしています。でも、今の家に引っ越すまで、畑仕事と草刈りをしたことがありません。

 

子供のころは、通学路に畑があったり、昆虫を採りに山へ行ったりして、自然は身近にありました。しかし、畑は無関心に等しい存在でした。実家にも、ものすごく小さな畑がありましたが、何かをした記憶がありません。

 

前は、畑仕事なんて、興味関心がゼロで、やろうと思ったことすらなかったのです。それなのに、今では畑仕事が大好きです。畑仕事を好きになるなんて、意外な発見で、予想外の出来事でした。

 

人間って、自分のことを、知っているようで知らないのかもしれません。そして、何かをやっていると、違う一面が現れてくることもあります。

 

例えば、嫌々やっていることが突然好きに変わることがあります。大好きだった女性と結婚したのに、だんだん嫌いになることもあります。自分の趣味と合わない洋服を勧められて着てみたら、よく似合っていたこともあるでしょう。

 

人間って、自分のことをよく知らないし、趣味や考え方は、年齢とともに変わっていくと思います。自分が、好きだと思っていることは、本当に好きかどうかわかりません。大好きが大嫌いに変わることも、珍しくありません。

 

こういうことを考えると、いろいろなものにこだわらなくていいと思います。もちろん、やりたい、好きだ、と思うことは、積極的にやるといいでしょう。

 

やるはめになったら、嫌いと思うことでも、やってみるといい。その中に、何か面白さを発見できて、好きに変わることがあります。やはり、これは絶対に嫌いだな、と思うかもしれません。

 

人は、常に変化する生き物です。変化しながら、その場に合わせて、ゆらゆら生きていこうと思う。