「白いご飯」のようになる

誰にでも、「好きなこと」と「嫌いなこと」があります。人生においては、できる限り多く「好きなこと」をした方がいい。

 

「嫌いなこと」ばかりしていたら、せっかくの人生が無意味になるかもしれません。「体験」という観点においては、「嫌いなこと」をするのも有意義ですが、やはり「好きなこと」をしていきたいと思う。

 

「好きなこと」は、自分にとって、生きる指針のようなものです。ストレスを感じないし、幸せになれるし、心豊かになることができます。

 

でも、「好きなこと」は、時間が経つに連れて「好き」という感覚が薄れたり、「嫌い」になることもあります。こういうように、「好き」という概念がなくなってきたら、それをするのを止めてもいい。

 

他に、「好きでもない、嫌いでもないこと」って、あると思います。こういう「好きでもない、嫌いでもないこと」も、人生において大切かもしれません。

 

特に大切だと思うのは、「好きでも嫌いでもないが、苦にならず楽に継続して行えること」です。こういうことは、「好き」という自我を振り回すよりも、素晴らしいことのように思えてきました。

 

「白いご飯」は、毎日食べます。エビフライが大好きだとしても、毎日エビフライばかり食べると嫌になります。こういうことを考えると、毎日、毎食食べることができる「白いご飯」は、素晴らしいと思う。

 

こういう「白いご飯」のような、毎日続けられることを淡々とやっていく。もしかすると、「好き」を振り回すよりも、「白いご飯」のようなことを淡々とやっていく方が、意味があるのかもしれません。「白いご飯」のような人格を目指すのも、面白そうです。

ゆらゆら生きていく

昨日書いたように、私は、畑仕事と草刈りに多くの時間を費やしています。でも、今の家に引っ越すまで、畑仕事と草刈りをしたことがありません。

 

子供のころは、通学路に畑があったり、昆虫を採りに山へ行ったりして、自然は身近にありました。しかし、畑は無関心に等しい存在でした。実家にも、ものすごく小さな畑がありましたが、何かをした記憶がありません。

 

前は、畑仕事なんて、興味関心がゼロで、やろうと思ったことすらなかったのです。それなのに、今では畑仕事が大好きです。畑仕事を好きになるなんて、意外な発見で、予想外の出来事でした。

 

人間って、自分のことを、知っているようで知らないのかもしれません。そして、何かをやっていると、違う一面が現れてくることもあります。

 

例えば、嫌々やっていることが突然好きに変わることがあります。大好きだった女性と結婚したのに、だんだん嫌いになることもあります。自分の趣味と合わない洋服を勧められて着てみたら、よく似合っていたこともあるでしょう。

 

人間って、自分のことをよく知らないし、趣味や考え方は、年齢とともに変わっていくと思います。自分が、好きだと思っていることは、本当に好きかどうかわかりません。大好きが大嫌いに変わることも、珍しくありません。

 

こういうことを考えると、いろいろなものにこだわらなくていいと思います。もちろん、やりたい、好きだ、と思うことは、積極的にやるといいでしょう。

 

やるはめになったら、嫌いと思うことでも、やってみるといい。その中に、何か面白さを発見できて、好きに変わることがあります。やはり、これは絶対に嫌いだな、と思うかもしれません。

 

人は、常に変化する生き物です。変化しながら、その場に合わせて、ゆらゆら生きていこうと思う。

やってもいいし、やらなくてもいいことをする

今、一番多く時間をかけていることは、畑仕事と草刈りです。田舎に引っ越すまで、畑仕事や草刈りをしたことがありませんでした。適当な土地があるので、畑仕事や草刈りをやってみたら、予想外に熱中できています。

 

畑仕事や草刈りは、やってもいいし、やらなくてもいいことです。野菜作りをしていますが、まだきちんとしたものが作れません。野菜ができると思っていたら、動物に全部食べられたりします。昨年は、動物が来て、ほぼ全滅しました。

 

草刈りは、刈っても刈っても草が生えてきますので、果てしない作業です。草を刈らなくても、寒くなると枯れてきますので、意味がない作業とも言えます。

 

こんな無意味とも言えることに多くの時間を割いています。時間があるからやっている、というのもあるのですが、基本は楽しいからやっています。

 

やらなければいけないことではなく、やってもいいし、やらなくてもいい。でも、やりたくなってしまうことって、楽しいものです。

 

このブログも、書いてもいいし、書かくなくてもいい。ブログを書くことによって、私が受けるメリットはないと思います。でも、書くのが好きだから書いている。

 

義務感でやること、義務的にやらないといけないことは、続けていくうちに、嫌になっていきます。

 

義務感がないことをする時間が多い人ほど、豊かな人生を送ることができると思います。やってもいいし、やらなくてもいい、義務感がないようなことを続けていきたいですね。

働いたら負け?

田舎暮らしをしていると、あまりお金を必要としません。お金を使おうと思っても、使うところがありません。二人暮らしですが、1か月に使うお金は、こんな感じです。

 

電気・水道・ガス代 1万円

固定電話、携帯電話、インターネット代 1万円

食費(外食費を含む) 3万円

車の維持費(保険、ガソリン代など) 1万円

計 6万円

 

いつもは質素な生活をしています。(笑)もちろん、他にもいろいろ買ったり、東京へ行ったり、旅行したりしますので、これ以上は使っています。

 

また、上記には住居費がありません。住居費は、持ち家か貸家によっても違いますし、貸家でも、値段がピンキリです。

 

もし、田舎暮らしをして住居費が安ければ、10万円で十分に豊かな生活を送ることができます。子供がいたりすれば、10万円を少し超えるかもしれません。一人暮らしだったら、数万円でも生活できると思います。東京でも、住居費を切り詰めれば、10万円生活も可能でしょう。

 

田舎暮らしをはじめて、少し経った時、10万円くらいで生活していることに気が付きました。これは、私にとって、ちょっとしたエポックメイキング(画期的なこと)でした。

 

それは、10万円という金額は、インターネットで稼ぐことが可能な金額だと思うからです。インターネットの中には、いろいろお金が落ちています。

 

最近は、多くの人が気が付いたため、前よりも、ずっとお金が落ちていないように感じます。しかし、今でも、インターネットで毎月10万円稼ぐのは、無理ではないと思います。機転がきく人だったら、10万円程度は稼いでいるでしょう。

 

今は、インターネットで10万円稼げれば、働かなくても生きていける、自由な時代になったのです。それなのに、あくせく働くのはバカみたい、かもしれません。

 

以前、ニートが「働いたら負け」という発言をして話題になったことがあります。本当に、働いたら負けかもしれません。 

勝ち組と負け組

GWが、ようやく終わりました。GW中は、どこへ行っても混雑しているので、出掛けないようにしています。GWなんてない方がいい、と思っているのは少数派でしょうね。

 

曜日にとらわれない生活をしていると、「今日は何曜日?」と聞かれても、考えないと曜日がわからなかったりします。

 

なぜ日曜日が休日かと言うと、キリスト教の影響のようです。キリスト教では、週のはじまりは日曜日であり、キリストの復活を祝うため仕事を休んで祈りを捧げます。それが広まって、日曜日が休日になったそうです。

 

日本では、1876年に官公庁で土曜半休・日曜休日が実施されました。それまでは、1と6のがつく日を休みにしていたようです。(31日は除く)しかし、欧米との交易のため、欧米と同じようにしたようです。

 

世の中には、日曜日・祝日はお休み、という人が多くいます。こういう人は、収入が多くても、「負け組」だと思います。年収が1千万円、2千万円、あるいはそれ以上あったとしても「負け組」です。

 

私のように収入がなくても、毎日を自由に過ごせる人は「勝ち組」だと思います。段ボールで暮らしている人も、ある意味では「勝ち組」です。これは、あくまで私の偏見です。(笑)

 

逆に、日曜日・祝日はお休みの人から、私のように毎日が日曜日だけど収入がない人、収入が少ない人を見ると、私の方が「負け組」に見えるかもしれません。

 

バリバリ働いて高収入を得て、GWや日曜日は休む。こういうのをステータスだ、格好がいい、と思っている人がいますが、私とは住んでいる次元が違います。

 

人は、それぞれ置かれている立場が違いますので、いろいろな見方があっていいと思う。

 

私は、収入が少なくても、時間を自由に使える方がいい。こちらの方が豊かな生活だと思います。

 

仕事はしたい時にする。したくない時にはしない。これが自然の生き方です。本来は、このように生きられるはずなのに、社会の洗脳や自分勝手な拘りから、自由な生き方ができていない人が多いような気がする。

 

一番の問題点は、自分は「負け組」だという意識さえ持っていない、という点かもしれません。自分の心の赴くままに自然体で生きれば、どちらでも問題ない話なのですが・・・・・

 

※人間に「勝ち組」も「負け組」もないですが、話がわかりやすいように「勝ち組」「負け組」という表現を使いました。