お墓参り

お盆に帰省すると、お墓参りをする人が多いと思います。お墓参りは、春のお彼岸、秋のお彼岸の時などにも行います。

 

人が亡くなると、遺体は火葬し、お墓の中に納骨する場合が多いと思います。最近では、散骨のように、納骨しない人も増えてきたようです。

 

以前、『千の風にのって』という曲がヒットしたことがあります。

 

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私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

 

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亡くなった人の魂は、どこにあるのでしょうか。そして、本当に魂はあるのでしょうか。

 

もし、魂があるとしたら、魂は納骨されたお墓にはいないと思います。納骨された骨は3次元的なものですが、魂は4次元的な目に見えない存在です。

 

魂が、お墓という狭い空間に、ずっと留まるとは考えにくい。魂が風になるかどうか、わかりませんが、魂があるならば、変幻自在にどこへでも出現すると思います。

 

今は、亡くなった人の遺骨をお墓に納骨する風習がありますが、いつから「お墓」というものが、できたのでしょうか。

 

日本のお墓の起源は、古事記に出てくる「千引石(ちびきいわ)」だという説があります。

 

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、国生みを終えた後、次々に神を生みました。その後、伊弉冉尊は黄泉の国へと旅立ってしまいます。伊弉諾尊は、黄泉の国へ降りることを決意しますが、そこで伊弉諾尊は伊弉冉尊の変わり果てた姿を見てしまいます。

 

伊弉冉尊は辱めを受けたと嘆き、魔物や千五百もの黄泉の国の軍勢を伊弉諾尊に差し向けます。伊弉諾尊は十拳剣で追い払いながら、現世と黄泉の国の境界まで逃げ延びます。

 

この境界を千引石という巨大な石で塞いでしまいますが、伊弉諾尊と伊弉冉尊はこの千引石をはさんで最後の会話をしました。千引石には、あの世とこの世を分ける境界としての意味があり、これが墓石の始まりとも言われています。

 

民俗学で有名な柳田國男によると、人間の肉体から離れる霊魂の存在を重要視したため、遺体を埋める埋め墓(葬地)とは別に、人の住む所から近い所に参り墓を建て(祭地)、死者の霊魂はそこで祭祀するという「両墓制」が、日本ではかつては一般的だった、としている。そのため、遺体を埋葬する墓所はあったが、墓参りなどの習慣はなく、従来の日本では全く墓は重視されなかったとしている。

 

岩田重則によると、墓に石塔ができてきたのは仏教の影響と関係の強い近世の江戸時代あたりからであり、それ以前は遺体は燃やされずに埋葬され、石塔もなかった。

 

浄土真宗地域および日本海側では、伝統的に火葬が行われ、石塔は建立されなかった。柳田のいう「単墓制」「両墓制」というのは、葬地と祭地が空間的に隔たっていることの分類に過ぎず、日本全国の多様な墓制の歴史的変遷に対応させるには無理があるそうです。(『「お墓」の誕生』岩田重則著による)

 

お墓の歴史を振り返ると、今のような碑石を建てるお墓が建てられ始めたのは、江戸中期の頃からだと言われています。それは、権力や富を持つ経済的に豊かな一部の層だけであり、一般の庶民がお墓を建てることは少なかったようです。

 

今のように誰もがお墓を自由に建てられるようになったのは、つい最近のことです。昔は、お墓がなかったのですから、お盆にお墓参りをする風習はなかったはずです。

 

ときどきは先祖のことを思い出して、先祖に感謝するのは、善い風習だと思います。お墓参りをする人は、お墓参りを通して、先祖に感謝する。お墓参りをしない人も、お盆の時は、今いる場所から先祖に感謝するといいと思います。

 

盂蘭盆会

私たちは、常日頃行っているいろいろな慣習、風習があります。どうして、このような慣習をしているのか、わからないまま行っている慣習も多々あります。学校で、日本史や世界史を教えるよりも、私たちが普段行っている慣習、風習の由来について学んだ方がいいと思います。

 

7月(地域によっては8月)の13日〜16日には、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教の行事が行われます。8月になると、「お盆」ということで帰省する人も沢山います。

 

この時期になると、亡くなったご先祖様が家に帰ってくるから、そのお迎えをするのかな、と思っていました。この盂蘭盆会に関して、彬子女王がわかりやすく書いていましたので、紹介します。以下は、私が編集したものであり、原文とは異なります。

 

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「お盆」とは、「盂蘭盆会」の省略形で、もともとはサンスクリット語のウランバナ(逆さ吊り)を音訳した言葉と言われています。

 

目連尊者というお釈迦様の弟子が、自分の亡き母親が、飢えと渇きに悩まされる餓鬼道に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいるのを知り、お釈迦様にどうしたら母親を救えるか相談しました。

 

お釈迦様は、「夏の修行が終わる7月15日に、修行が終わったお坊さんたちを招き、お盆にたくさんのお供え物を載せて供養すれば、母親は救われるだろう」と言われたとか。その教えの通りにすると、その目連尊者のよい行いによって、母親は極楽浄土に行くことができたのだそうです。このお話から、祖先の霊をお祀りする盂蘭盆会の行事が始まったと言われています。

 

お盆に行われる行事の内容は、地方によって違いがあり、ある地域では、亡くなった人の魂があの世とこの世を行き来する乗り物として、「精霊馬(しょうりょううま)」という、キュウリやナスに割り箸などを刺して動物に見立てたものを用意する習慣があるそうです。

 

キュウリは足の速い馬で、あの世から早く帰ってこられるように。ナスは足の遅い牛で、あの世に帰るのが少しでも遅くなるように、そしてお供え物を載せて持って帰れるように、という思いが込められているのだとか。

 

13日の夕方には、迎え火といって、亡くなった人の魂がきちんと帰ってこられるように、目印となる火を燃やします。お盆の時に提灯を用意するのは、このような理由もあるようです。

 

お仏壇にお供え物をして、亡くなった人がやすらかにいられるように、お坊さんにお経を読んでもらいます。

 

16日は送り火。お盆の間帰ってきていた魂を、再びあの世に送り出します。京都の五山の送り火のように、山に送る場合もありますし、灯籠流しのように海や川に送る場合もあります。

 

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ちなみに、仏教の『盂蘭盆経』で説いているのは、次のような話です。

 

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安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

 

哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

 

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斉明天皇3年(657年)には、盂蘭盆会を設けたと記され、同5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。聖武天皇の天平5年(733年)7月には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。

 

奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なったそうです。(Wikipediaによる)

 

日本で夏に祖先供養が行われるようになったのは、8世紀ころからのようです。旧暦7月15日にお盆が行われているのは、沖縄と奄美地方のみのようです。

 

16日の晩に、寺社の境内に老若男女が集まって踊ることを「盆踊り」と呼んできました。これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したと言われています。

 

檀家制度を廃止した住職(見性院の橋本住職)

AERA 8月7日号で、「檀家制度廃止」という、江戸時代から連綿と続く仏教のスタイルに一石を投じた古刹の僧侶についての記事が掲載されていました。以下は、私が編集したもので、本文とは異なる箇所があります。

 

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地方を中心に集落の高齢化や過疎化、地域共同体の希薄化で、江戸時代から400年近く続く檀家制度が、揺らいでいる。そんな時代に、「改革」に名乗りを上げた僧侶がいる。埼玉県熊谷市にある曹洞宗の古刹・見性院の橋本英樹住職だ。

 

見性院は400年以上の歴史を持ち、橋本住職は23代目に当たる。駒澤大学大学院を修了し、曹洞宗の大本山・永平寺で3年間修行。25歳の時に見性院の副住職になった。しかし月収は10万円。とても生活できないので、葬儀に僧侶を仲介する10近くの派遣業者に登録しアルバイトに明け暮れた。

 

2007年、42歳の時に先代住職だった父の跡を継ぎ同院の住職となると、改革に乗り出した。11年4月、見性院の檀家総代が集まる役員会に「檀家制度の廃止」を諮った。前代未聞の檀家の解放宣言に、檀家たちからは厳しい声が飛んだ。

 

議論を重ね12年6月、檀家制度の廃止に踏み切った。宗教・宗派、国籍すら問わない、誰にでも開かれた「みんなのお寺」にした。同時に、400軒近くあった檀家との関係をいったん白紙に戻し、「随縁会」という会員組織にし、名称も檀家から「信徒」に変えた。旧来の檀家は全員が信徒に移行した。

 

檀家制度廃止にあたり橋本住職が重視したのが、「明朗会計」と「サービス重視」だった。まず手をつけたのが、法要の際のお布施だ。

 

仏教界は「お気持ち」というあいまいな言葉で、高額なお布施をとってきた。これを値下げし、明確な料金にした。たとえば、僧侶1人が通夜と葬儀でお経をあげ「信士・信女」の戒名を授けた場合、20万〜25万円。以前は50万円もらっていたのを、半額以下にした。

 

遺骨を郵送で受けつける「送骨サービス」も始め、通販サイト大手のアマゾンジャパンが始めた僧侶派遣サービス「お坊さん便」にも賛同した。

 

しかし、時代が後押ししたのか、橋本住職が掲げた理想に、賛同の声も集まった。送骨は全国から集まり、永代供養の需要も増えた。葬儀・法事の回数は以前の3〜5倍。見性院の信徒は約800人と「改革」前の2倍となり、寺の収入基盤は確保された。

 

同院では僧侶として守るべき最低限の戒律を「心得十カ条」として掲げる。▽ゴルフ・釣りはしない▽ギャンブルはしない▽高級車に乗らない──といった項目が並ぶ。

 

寺など宗教法人の経理はベールに包まれ「ブラックボックス」だ。そんな中、見性院は収支を公開している稀有な寺だ。

 

見性院の収入は、檀家制度をやめた当初こそ伸び悩んだが、1年を過ぎると増加に転じた。14年度は約9980万円、16年度は約1億2816万円となった。先代のやり方を踏襲していたころは3千万円弱だったというから、経営規模は実に4倍以上に拡大した。

 

収入の大きな柱となっているのが、永代供養。料金は合同納骨プランが3万円、10年間個別保管プランが10万円など。各地から年間200件近く受け入れる。葬儀や法事の数は以前の2〜5倍になり、葬儀は年35件、法事は年約300件執り行う。

 

一方、支出の合計は約1億2480万円(16年度)。ここには住職や寺のスタッフ10人分の給料も含まれる。給料は月給制にしていて、橋本住職は月約50万円をもらう。差し引き約336万円の黒字となった。

 

風穴は開いたが、先の橋本住職は、改革はまだ「5合目」だという。いまだ見性院の若い僧侶が他の寺に行くと、「あそこのお寺には行くな」と言われ、旧檀家の中には檀家制度廃止を完全に納得していない人もいるという。それでも将来、M&A(統廃合)によって他の寺と手を携えグループとしてまとまるHD(ホールディングス)化も橋本住職は視野に入れている。

 

すでに、こうした考えに賛同する僧侶は宗派を超えて全国に70人近くいて、「善友会」としてお布施の額を明示し、僧侶の紹介など横のつながりを強化している。経済的に自立できる「強いお寺」を増やし、仏教の教えを広めていく考えだ。その「頂上」には何が待っているのか。橋本住職が言う。

 

「日本の仏教は死後にかかわりすぎてきた感があります。お釈迦様の説いた仏教は、一貫して生きるための教え。生きているうちからお寺と縁を結んでもらい、その最終章に葬儀と供養があるのが本来の姿。信徒が生きている間に何ができるのか。それを追求していきたい」

 

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文化庁が行っている「宗教統計調査」によると、平成26年12月31日現在の神社の数は、81342社、お寺の数は、77254寺院だそうです。今、コンビニの数は、6万くらいですので、神社、お寺の数はコンビニよりも多いことになります。

 

神社の数が、お寺の数よりも多いのは、意外な発見でした。お寺の方が、葬式などのイベントが多く、収入を得やすいように思います。

 

こういっても、お寺も神社も斜陽産業ではないかと思います。葬式をあげる人が少なくなるなどして、小規模のお寺、神社は、収入が減少するかもしれません。今、存続しているお寺、神社の半分くらいが、すぐになくなっても、おかしくありません。

 

これからも、見性院の橋下住職が行っているような、今までの既存のシステムを打ち破るようなことをする住職が増えてくると思います。

 

どんな職業でもそうですが、今までと同じようなことをしていると、次第に廃れてくることが多い。今とは違う革新的なものを導入することにより、規模が拡大していきます。

 

今までの既成の価値観を捨て、新しい試みをする。いつまでも、旧態依然のやり方をしていてはいけないと思う。新しい試みにチャンレンジしている人に拍手を送りたい。

 

メルカリの山田進太郎さん

最近、メルカリが上場を予定している、というニュースがありました。メルカリは、ご存知の方も多いと思いますが、スマホやタブレットで簡単に売買できるアプリです。最近は、パソコンでも利用できるようになったみたいです。

 

週刊新潮に、メルカリの上場に関する記事が掲載されていたので紹介します。以下は、私が編集したものであり、本文と異なる箇所があります。

 

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メルカリは、山田進太郎さんが2013年に設立。上場すれば時価総額1000億円以上と言われている。山田さんは、300億円以上の資産家になる。

 

山田進太郎さんは、現在39歳。山田さんは、早大教育学部4年生のとき、楽天から内定をもらい、インターンとして、オークション事業の立ち上げに参加したが、辞退して、フリーのプログラマに転身する。その後、いろいろなビジネスをしたが、うまくいかなかった。

 

名前を知られるようになったのは2009年、ソーシャルゲーム『まちつく!』がヒットしたことでした。そこで、山田さんは会社ごとアメリカの大手ゲーム会社に売却します。

 

山田さんは、売却先の大手ゲーム会社の日本法人代表に収まるが、1年3ヶ月で職を放り出し、諸国歴訪の旅に出てしまう。

 

旅をしながら次の事業を考えていた山田さんは、8ヶ月後に日本に戻ります。そこで、メルカリをスタートさせます。

 

2013年2月、メルカリは友人からかき集めた200〜300点を出品することからはじまった。メルカリが大きく飛躍したきっかけは、ベンチャーファンドのユナイテッドから出資を得たことです。

 

ユナイテッドの関係者によると、山田さんは、4枚ほどの紙にサラッと書いたメルカリの企画書を役員に見せたそうです。通常、ベンチャー企業への出資は、1000万円〜2000万円ですが、企画書を見た役員は、すぐさま3億円の出資を決めました。これなら上場までもっていけると踏んだからです。

 

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メルカリの創設は2013年2月ですから、今から4年半くらい前のことです。4年半で1千億円以上の規模の会社になったのは、すごいことです。創立者の山田さんは、株式が上場されれば、たった4年半で300億円以上の資産家になります。

 

4枚の企画書に対して、3億円の出資を決めたユナイテッドの役員もすごいが、4枚の企画書で3億円を引き出した山田さんもすごいと思う。

 

インターネットの中には、まだまだ巨額なお金が埋もれているように思います。mixiがすたれて、Facebookが主流になっていますが、Facebookも、次第にすたれて、別のSNSが台頭するかもしれません。

 

twitterもよく使われていますが、twitterのシステムは3日で作れるという凄腕のプログラマの話を聞いたことがあります。twitterの時価総額は、1兆円を超しています。3日で作れるシステムが1兆円です。

 

今は、アイデア一つで、超大金持ちになれる時代です。超大金持ちになれなくてもいいから、ちょっとしたビジネスアイデアを考えてみたらどうだろうか。

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(マーク・ボイル著)

『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(マーク・ボイル著)を読んでみました。著者のマーク・ボイルさんは、1年間お金を使わずに、以下のようなルールで生活することを試みます。

 

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1「カネなし」の大原則

丸一年、金銭の授受をしないこと。小切手もだめ、クレジットカードもだめ。12ヶ月の間、必要な物や欲しい物があるときは、現金やそれに類するものを使わずに手に入れなければならない。

 

2「フツー」の法則

「フツー」の法則は、一番重要なルールだった。1年をとおして遭遇するさまざまなケースにどう対応するか、その判断基準となる。「○○は実験のルールにかなっているか」と聞かれたら、「普通だったらどうするだろう」と考えてみる。

 

3「ペイ・フォワード」の法則

従来のバーター取引の代わりに、ペイ・フォワード経済を取り入れるように心がけている。つまり、無償で与え、無償で受け取るのだ。

 

4「尊重」の法則

ぼくの実験は、お金や下水道を使い続けている99%の人を不快にさせて関係を悪くするのが目的じゃない。こういう場合に自己の流儀を金科玉条のごとく押し通すのは、かえって逆効果になる。これが「尊重」の法則である。

 

5「化石燃料不使用」の法則

この丸1年、自分のために化石燃料(石油、天然ガスなど)の使用を増やすのはやめにした。「ずいぶん疲れているようだから車で送ってやろう」と言われても、丁重に辞退する。

 

6「料金前払いなし」の法則

通常、電気や水道などの公共料金の請求書は定期的に送られてくるが、それを前もって払い込んでおくことも、ぼくはしない。それどころか、そもそも一切の請求が発生しないよう、完全なオフグリッド体制をしいたのだ。

 

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著者のマーク・ボイルさんは、2年半「カネなし」生活を続けました。その後、「カネなし村構想」を立ち上げるべく準備をはじめたそうです。

 

大昔には、「お金」はありませんでした。文明が発達するにつれて「お金」が発明されました。お金は、「人類最大の発明」とも言われています。

 

お金があると、とても便利です。物々交換の社会よりも、お金を通して交換した方が、簡単でスムーズです。

 

しかし、一方では、お金がすべてだ、人生で一番大切なのはお金を稼ぐことだ、とお金を中心に生きる人がいます。お金は、人生の補助的なものであるべきなのに、いつの間にか、お金が中心になっている人もいます。

 

こういう意味でも、マーク・ボイルさんが行った「お金と使わないで生活する」という実験は、とても面白い。人間は、お金がなくても生きていくことができる、とわかればお金の心配をすることもなくなります。

 

私は、お金はあった方が便利なので、お金をなくす必要はない。しかし、お金を中心にして生きてはいけない、と思います。