ルーティンから抜け出す

私は、時間を拘束されるのが大嫌いです。学校の授業のように、出席が義務付けられることは大嫌いでした。

 

今は、すべてと言っていいほど、時間を自由に使えます。こんな生活ができて嬉しい。

 

会社勤めなどをしていると、自分の時間が拘束されます。どうして、時間の拘束から抜け出そうとしないのか、とても不思議です。

 

私は、5年間勤務した経験があります。最初の1年間は、固定給で働いていたので、時間が拘束されていました。時間の拘束が嫌だったので、2年目からは歩合、日給で働きました。勤務していたので、すべては自由になりませんでしたが、休みたい日には休んでいました。

 

なぜ、人は会社などに拘束され続けるのでしょうか。金銭的なこともあると思いますが、それ以外の部分もありそうです。

 

人は、何かに依存していた方が楽なのかもしれません。奴隷制度がなくなった時、奴隷たちは、自由になって喜んだ、と思うでしょう。しかし、「今のまま(奴隷のまま)でいたい」と言った奴隷が多くいたそうです。

 

人は、慣れてしまうと、それが当たり前になり、苦痛を感じなくなるのかもしれません。そして、ただいつものルーティンの中で生きている。このルーティンから抜け出さないと、本来の自分の生き方ができません。

 

人は、何かを考えているように見えても、実際には何も考えていなかったりします。単に過去の慣習、社会や親から洗脳されたことを、そのままなぞっているだけ。

 

ここから抜け出す1歩は、自分は何も考えていない、惰性で生きている、と自覚することかもしれません。社会のルーティンの中から抜け出そう。

仕事を変える?変えない?

新卒として就職し、そのまま定年まで同じ会社に勤める人がいます。ある調査では、50歳代の男性で、一度も転職をしたことがない人は48%くらいだそうです。新卒後〜定年まで同じ会社に勤める人は、40〜50%くらいと推定されます。

 

定年まで勤める人は、正社員で居続ければ、お給料も保証され優遇される。転職するより安定的で金銭的には困らない、と思っているのかもしれません。

 

でも、サラリーマンは、自分の時間を売っていることに他なりません。終身雇用制度は、現代の奴隷制度と言ってもいい。

 

私は、サラリーマンにはなれないタイプです。何より、自分の時間を拘束されるのが大嫌い。さらには、何かに依存するより、自分の力でお金を稼いだ方が楽しいと思う。

 

職場は変わっても職種はずっと同じ、という人もいます。一生涯、中華料理をつくっている人、野菜を売っている人、生命保険のセールスをしている人、患者さんを診続けている人・・・・・いろいろな職種で、同じ仕事を続けている人がたくさんいます。

 

同じ仕事をし続けるのは、職種などによっては素晴らしいと思えることがあります。しかし、会社や上司に命令されたことだけする職種は奴隷と同じです。

 

日本語には、「手に職をつける」という言葉があり、何らかの技術を習得して、それを仕事にする、という概念があります。何らかの分野が好きでたまらない、という人は、好きな分野で手に職をつけるといい。

 

一方では、今までと違う分野で仕事をはじめる人がいます。例えば、ブックオフを創業した坂本孝さんは、現在、『俺のフレンチ』『俺のイタリアン』などの外食産業をしています。中古本の販売とは、まったく違う分野です。このように、過去を捨てて、新しいことにチャレンジする人も素晴らしい。

 

私は、飽きやすい方なので、一生涯同じ仕事は続けられません。これまでに、いくつか仕事をしてきましたが、まったく違う分野です。

 

これから、新しく事業をするかどうかは決めていません。事業は面白いので、やりたいと思うことがあれば、やってみたい。もちろん、今までの延長線ではなく、違う分野を考えています。そういう意味でも、今までの事業を、ほぼゼロにしたのは、よりよい選択だったと思います。

 

一つのことを極める生き方は素晴らしい。いろいろ手あたり次第やってみる人生も面白い。どんな人生を選ぶかは、その人の自由です。

好きと嫌い

誰にでも、「好きなこと」と「嫌いなこと」があります。でも、それは本当に「好きなこと」「嫌いなこと」なのでしょうか。

 

人間の感情は、時間の経過とともに変化します。「好き」が「嫌い」に変わることもあるし、「嫌い」が「好き」に変わることもあります。

 

「大好きだ」と思って結婚したが、そのうち嫌いになり離婚した人は山ほどいます。さらには、相手のことを恨んだり、離婚裁判を起こす人までいます。結婚する前の「大好き」は、どこへ行ったのでしょうか。

 

仕事でも、「こんな仕事をしたい」「これが好きだから、仕事にしよう」と思って、自分の望む仕事に就く人がいます。ずっと、その仕事が好きで続けられる人もいますが、途中で嫌いになったり、好きでなくなる人もいます。

 

人生においては、好きだと思うことを積極的にするべきです。しかし、その「好き」は、どこかで好きでなくなるかもしれません。その時は、それを止めていい。

 

人は、やったことがない未知の分野に関しては、希望的な観測をするものです。「これが実現したら幸せだ、嬉しい」と思っても、時間の経過とともに、最初の熱情(パッション)がなくなります。

 

人は、時間とともに、慣れていく生き物です。慣れていくと、最初の熱情を忘れてしまい、好きだったものが、日常の一部になったりします。

 

以前は、生きる指標として、「好き」「嫌い」ということを大切にしていました。しかし、最近は、「好き」「嫌い」というのは、どうでもいいことのように思えてきました。

 

「好き」「嫌い」よりも、もっと大切なのは、「今するべきこと」「楽に続けられること」のように思います。「好き」「嫌い」というのは、あまり考えないで、「今するべきこと」「楽に続けられること」を淡々とやっていきたい。

 

一つのことに拘泥しないで、いろいろ変わっていい。人は、少しずつ変わっていくのが当たり前です。そういう移り行く変化を、ちょっと遠くの視点から眺めてみようと思う。

甘酒の効果

今年に入ってから、毎日のように甘酒をいただいています。飲む量は、手作りした甘酒を1日コップ1杯か半杯くらいです。健康なので、明確な効果はわかりませんが、飲んでいるといいような気がします。

 

週刊ポスト6月2日号に「『飲む』より体にいい食べる甘酒の凄いパワー」という記事がありましたので、抜粋して紹介します。以下は、私が編集、加筆したものであり、記事とは異なる箇所があります。

 

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甘酒は、古墳時代からあった。日本書紀には、応神天皇が民から献上されたと記録されている。甘酒は、寒い冬の飲み物というイメージが強いが、江戸時代までは、夏バテ予防として愛飲され、俳句でも夏の季語とされる。

 

甘酒は、製法によって2種類に分けられる。

 

一つは、「飲む甘酒」。米から日本酒をつくる過程で、アルコール発生後に取り出される酒粕を湯で溶かしたもので、アルコール分を含む。

 

もう一つは、アルコールの発生前、米に麹を加えたところで取り出す「食べる甘酒」。こちらは、ノンアルコール。食べる甘酒には、次のような効果がある。

 

☆善玉菌を増やして大腸がんを予防する

最大の特徴は、食物繊維とオリゴ糖を豊富に含むこと。腸内の善玉菌が食物繊維とオリゴ糖を食べると、酪酸が生まれる。酪酸は、大腸を動かす最大のエネルギー源であり、腸内を活性化して、様々なプラス効果をもたらす。酪酸は、がんの原因となる酵素・βグルクロニターゼを抑制する。

 

☆降圧剤「ACE阻害薬」と同じ働きがある

食べる甘酒に含まれるペプチドには、高血圧を引き起こすACEという酵素の働きを抑える作用がある。これは降圧剤の1種である『ACE阻害薬』と同様の働きだと言われている。

 

☆心を落ち着かせて認知症を迎える

食べる甘酒を摂取することによって、心を落ち着かせる働きがあるセロトニンの分泌が促進される。(認知症の患者は、セロトニンの分泌量が低下する。)

 

☆栄養価が高くダイエットも可能

必須アミノ酸やオリゴ糖などの栄養素を含み、飲む点滴と言われるほど栄養価が高い。食べる甘酒は、飲む甘酒に比べて、代謝を良くするビタミンB群が大量に含まれている。便通を良くする食物繊維が豊富に含まれているため、ダイエットにも適している。

 

☆甘くてもOK?

甘酒の糖質量は100gあたり17.9g。炊いた白米の糖質は36.8g、清酒は3.6g。それでも、適量を守れば、むしろ糖尿病改善が期待できる。

 

食べる甘酒は、善玉菌を増やして腸内の炎症を抑えるので、血糖値の上昇を防ぐ。1日、大さじ4杯程度が目安。体調不良や食欲不振の方は、主食代わりに茶碗1杯分食べても構わない。少量でもいいので、毎日摂取することが大事。

 

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これからも、甘酒を飲み続けたいと思っています。

本当の修行とは

私は、世間から隔離されたような所で生活しています。ほかの人に会ったり電話で話すことは、ほとんどありません。

 

こういう生活をしていると、「仙人のような生活ですね」と言われることがあります。仙人と言うと、人里離れた所で、瞑想をしたり、山の中を歩き回ったり、滝に打たれたりなど、といった修行をしているイメージがあります。悟りを開こうとする人、修行僧なども、同じような修行をする場合があります。

 

でも、本当の修行は、人里離れた所で行うものではなく、人込みの中で、都会で行うものかもしれません。お釈迦さまは、人里離れた所で6年間苦行をしましたが、悟ることができませんでした。

 

現代の仙人は、都会に住んでいるかもしれません。その辺に普通に生きている人の中にも、仙人と呼んでもいい人がいるような気がします。

 

人間が多く住む所には、複雑な人間関係があったりします。それで、人間関係の悩みを抱えて大変だ、と思っている人も沢山いるでしょう。しかし、別の見方をすると、複雑な人間関係は、人間としての成長になっているかもしれません。

 

私のように、誰にも会わず、外界と接触がないと、心が安定して生活できます。でも、心の成長という面からすると、成長しにくい環境です。

 

私のようなストレスがない生活をしている人は、人生の初級を体験しているのかもしれません。人間関係が複雑で大変な思いをしている人は、人生の上級を体験しているのかもしれません。

 

私のように楽な生活をすることが良いか、あるいは大変な生活をした方が良いか、というのは、人間の価値観では判断できないと思います。

 

こんなことを考えながら、心の成長がない(笑)、静かな生活を楽しんでいます。