格差社会に生きている

インドには、「カースト制度」という身分制度がありました。上から「バラモン」(宗教的な支配者階級)「クシャトリヤ」(貴族または武士階級)「ヴァイシャ」(市民)「シュードラ」(労働者)というように分けられていました。このようなカースト制度は、ほとんどなくなっているようですが、一部地域では、まだ現存するらしい。

 

カースト制度と言うと、他人事のように思えるかもしれません。しかし、現在の日本、いや世界中でカースト制度のようなことが行われています。

 

簡単な例が、会社での組織です。どこの会社でも、社長、部長、課長、係長、平社員というように、階級が分けられています。これは、カースト制度と同じ、と言ってもいい。社長は王様、平社員は奴隷のような立場だと思います。

 

日本では、政府から「国民一人一人が平等」みたいなことを言われて、これを信じている人もいます。選挙する時は全員が1票で、年金保険料を支払っていれば誰でも年金がいただけます。 なんとなく、平等のような雰囲気を醸し出しています。

 

でも、国民一人一人が平等というのは錯覚だと思います。ちょっと見渡せば、不平等なことが、いくらでも見つかります。私たちは、格差社会に生きています。

 

一人一人が平等という概念は、取り去った方がいいかもしれません。資本主義には、平等という概念がありません。資本主義は、格差、上下をつくる政策と言ってもいい。

 

社会主義であっても格差が生じています。人間がたくさんいる限り、格差、上下関係が生じるのは当たり前です。国民一人一人が平等な国は一つもありません。

 

格差に関する指数として、所得分配の不平等差をはかる「ジニ係数」というのがあります。0に近いほど格差が小さく、数字が大きくなるほど格差が大きくなります。40%以上は社会騒乱の警戒ライン、60%以上は危険ラインと言われています。世界の平均は、39.5%です。

 

格差が大きい国は、レソト(63.2%)南アフリカ(63.1%)ボツワナ(63.0%)のようなアフリカの国や中南米の国が並びます。

 

格差が小さい国は、スウェーデン(23.0%)スロベキア(23.7%)モンテネグロ(24.3%)ハンガリー(24.7%)デンマーク(24.8%)というような国が並びます。

 

そのほかの国を見てみると、アメリカ(45.0%)イギリス(32.3%)フランス(30.6%)イタリア(31.9%)ドイツ(27.0%)中国(47.3%)韓国(31.1%)・・・日本は37.9%です。ただし、この数字は調査した年がバラバラです。日本は、やや格差が小さい国と言えます。

 

アメリカは、いろいろな人種が集まっているせいもあって、格差が大きくなっています。「アメリカンドリーム」という言葉がありますが、アメリカで階級間の移動ができる人は、わずか4%だそうです。

 

日本で、素晴らしいと思うのは、誰でも、同じような教育を受けられることです。公立や私立の学校があって、学力の差はありますが、こんなに平等に教育を受けられる国は珍しい。 日本では、子供を有名な学校に入れようとする家庭がありますが、ヨーロッパの上流階級では、これ以上のことが行われているようです。

 

日本は、比較的、階級間の移動ができる環境にあります。階級を駆け上がるチャンスが沢山あります。ただ、これを実行しようとする人は少ない。

 

階級を駆け上がって、トップを目指す生き方もあります。こういうのが好きな人は、自由に行っていい。私は、こういうレースから離脱しました。争う、競うことは、やりたくない。

 

階級は、人間の上下を決めるようなものです。本当は、人間に上下はありません。一番いいのは、階級が存在する組織に所属しないことかもしれません。

投資される人になる

最近、インターネットのニュースを見ていたら、「VALU」というサイトが話題になっているそうです。「VALU」は、会社ではなく、個人に投資するサイトのようです。ただし、投資する時には、ビットコインを使う必要があります。

 

「VALU」のサイトを見てみましたが、今のところ、あまり興味がありません。ビットコインを使うというのも抵抗があります。ビットコインは、どんどんメジャーになっていますが、今のところ、信頼していません。

 

政府が発行しているお金に対する信頼は、少しずつ薄れてきているように思います。電子マネーも、日常的に使われる時代になりました。ビットコインは、どれくらい普及するのかわかりませんが、このような仮想通貨が大きなシェアを占める時代になるのかもしれません。

 

「VALU」の「個人に対して投資する」という点は、とても面白いと思います。株式投資だと会社に投資をしますが、個人に投資をする方法はありませんでした。

 

インターネットは、多くの人が繋がったり、結びつきをするのに便利なシステムです。最近では、クラウドファンディングという手法でお金を集める人が増えてきました。私は、クラウドファンディングに出資したことはありませんが、興味は持っています。

 

「VALU」もクラウドファンディングもそうですが、見知らぬ人に出資(投資)するのは勇気が必要です。中には詐欺的なものもあって、投資したお金がゼロになる可能性があります。

 

昔は、インターネットのようなシステムでお金を集めることはできませんでした。今は、魅力的な人、魅力的なビジネスアイデアがあれば、インターネットでお金を集められる時代です。

 

銀行は古い体質で、担保がなくて、ビジネスの資金を借りようとしても相手にしてくれません。個人が、銀行からお金を借りるのは、家を買う時くらいだと思います。

 

これまでは、担保を持たない個人が、お金を借りようとした時、貸してくれるのは、知り合い、友人、家族、そしてサラ金くらいでした。今は、魅力的な人だったり、魅力的なビジネスアイデアさえあれば、見知らぬ人が出資してくれるのです。

 

インターネットで、見知らぬ人と繋がった時、「この人にだったら投資しよう」と思われる人になっては、どうだろうか。そうしたら、お金が必要な時は、いつでもお金を集めることができます。沢山の貯金をするより、魅力的な人になった方がお金持ちだ、と言えるかもしれません。

餓鬼にはならない

衆賢(しゅげん)は、紀元後5世紀頃のインドで活躍した学匠(学問にすぐれた人)です。衆賢は、『阿毘達磨順正理論』(あびだつまじゅんしょうりろん)、略して『順正理論』を著しました。

 

『阿毘達磨順正理論』の中に、「餓鬼には3種あり」と書いてあります。

 

【無財餓鬼】・・なんの財産も持っていないので裸でいます。何も食べることはできません。

 

【少財餓鬼】・・ほんの少々の財産、といってもボロ切れ1枚だけを持っています。ほんの少々の飲み食いができます。

 

【多財餓鬼】・・ものすごい財産を持っています。宮殿のような住居にいて、豪華な乗用車に乗り、山海の珍味をたらふく食べています。

 

私は、欲しいと思ったものは、何でも買ってしまいます。まだ物欲がたくさんあるようです。(笑)でも、年齢を重ねるごとに、物欲は少なくなっている気がします。

 

最近は、「断捨離」という言葉とともに、身の回りのものを整理してシンプルに生きる人が増えてきました。一方では、たくさんの物に囲まれて生活している人もいます。

 

どちらが良いか、というと、それは決められないと思います。シンプルにした方が気持ちが良い、と思う人はシンプルに生きればいい。たくさんの物に囲まれて生活する方が好きな人は、そのようにすればいい。

 

世の中には、いろいろなコレクターがいます。こういうのを見ると、変なものを集めているなあ、と思いますが、集めている本人は幸せです。本人が幸せで、家族に迷惑をかけず、自己責任で集めているのだったら、ほかの人が何かを言う必要はありません。

 

「立って半畳、寝て1畳、天下取っても2合半」という言葉がありますが、人間は、そんなに物や空間を必要としませんし、食べる量も限界があります。そして、誰もがいつかは死んでしまいます。死んでしまえば、死後の世界へ物を持って行くことはできません。

 

不思議なことに、物を持つと、同じようなものを、どんどん欲しくなることがあります。物欲を持ってもいいですが、それに対して執着しないことが大切な気がします。

 

物に対して、執着したり、いくら持っても満足できない存在が、多財餓鬼なのかもしれません。物や財産を持つのはいいですが、多財餓鬼になってはいけないと思います。

天然、自然がいい?

「天然」「自然」という言葉を聞くと、人間の体に優しい、健康になる、というイメージがあります。「人工」「化学」という言葉は、人間の体に良くない、というイメージがあります。これらは、あくまでイメージに過ぎません。

 

石油製品や金属製品は、「人工」「化学」と呼ばれることがあります。石油は、生物から由来したものだという説が有力です。金属は無機物ですが、地球上に天然に存在したものを採掘しています。核爆弾の原料になるウランやプルトニウムだって、もともと地球上に天然に存在していたものです。こう考えると、地球上に存在するすべてのものは、天然素材、と言ってもいい。

 

人間は、天然素材を使って、いろいろなものに加工します。野菜を採って炒め物にするのも加工、魚を捕って煮魚にするのも加工、金属を家電や機械にするのも加工、ウランを採掘して原子力発電に利用するのも加工と言っても良い。素材や加工の方法が違うだけです。

 

「天然」「自然」のものは、本当に、人間の体に優しく、健康に役立つのでしょうか。この点に関しては疑問があります。わかりやすいのが、人間の植物に関する食性です。

 

自然に生えている野草を食べれば、栽培する手間がないので、面倒がない。それなのに、野草を食べる習慣は、ほとんどありません。食べるとすれば、フキ、ワラビ、ゼンマイ、フキノトウ、タケノコ・・・というようなものです。

 

野草を食べないのは、毒を持つ野草があるから、というのも一つの理由です。野草は、人間や動物に食べられるために存在しているのではありません。どちらかと言えば、動物たちに食べられないように進化するのが当たり前です。

 

こう考えると、すべて(ほとんど)の野草は、何らかの毒を持つと言ってもいいかもしれません。その毒の種類によっては、人間に対して害がなかったり、人間の健康に役立つ作用を持っていると思われます。毒がなかったり、健康に役立つ作用を持つ野草を品種改良したのが、私たちが食べている野菜なのかもしれません。

 

自然のものを全ていただいた方が、人間の健康に役立つと考えている人がいます。例えば、白米よりも玄米の方がいい、加工した塩よりも自然塩の方がいい、という考え方をしている人がいます。

 

この考え方は、正しいかどうか、わかりません。自然のものは、何らかの毒を持つ可能性が高いならば、玄米、自然塩は危険、ということになります。

 

一方では、人工的につくった加工品は、人間の健康にとって良くない、というイメージがあります。これも、本当かどうか、わかりません。

 

カブトムシの寿命は、前に比べて伸びているそうです。昔は、カブトムシにスイカとかキュウリをあげていましたが、このような自然のものよりも、人工的なゼリーの方が、カブトムシの寿命を伸ばすようです。

 

人間も、カブトムシと同じように、自然のものを食べるよりも、加工食品を食べた方が長生きするかもしれません。(自己責任でお願いいたします。)「天然」「自然」という言葉のイメージで、いろいろ判断することはやめた方がいいと思います。

 

足の裏で音を聴く

故糸川英夫さんは、「音楽は、耳と骨で聴いている」と提言しました。昔、「ボディソニック」という会社があって、椅子に横たわりながら体で音楽を聴く装置を販売していました。

 

ボディソニックという会社はなくなったと思いますが、別の会社が同じような装置を販売しています。その会社によると、このような椅子に座ることにより、病気が治るらしい。私も体験してみたことがありますが、良さそうな感じがします。

 

骨伝導のヘッドホン、イヤホンも販売されています。前は難聴の方への商品が多かったですが、最近は一般の方向けの商品も、たくさん見かけるようになりました。

 

NASAで面白い実験をしたことがあります。宇宙飛行士たちは、狭い船内で自由に運動することができません。しかも、緊張とストレスから免疫力が極端に低下してします。どうやったら、簡便に免疫力を高めることができるか、と実験を重ねました。その結果、「裸足の裏に音楽のシャワーを浴びせる」という方法が大変効果的だったそうです。

 

このときの音楽は、自然の音にヒーリングミュージックを重ねたものが最も効果があったそうです。ゆっくりした心臓の鼓動、母親の体内で赤ちゃんが聞いていた音も、免疫力をアップさせたそうです。

 

気功では、足の裏から呼吸するようにイメージする流派があります。足心呼吸とか足芯呼吸とか、流派によって呼び方が違います。「聖人は踵で呼吸する」という言葉もあります。

 

人間は、音を耳からだけでなく、全身で音を聴いているのでしょう。その中で、一番敏感な部位は、足の裏なのかもしれません。